大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋地方裁判所 昭和30年(わ)2156号 判決 1963年6月13日

本籍 滋賀県野洲郡中洲村大字小浜七五七番地

住居 奈良市菅原町一、〇九〇番地の三八

会社員 山本貢

昭和二年一〇月一日生

外六名

右の者等に対する関税法違反被告事件について当裁判所は検察官佐度磯松出席の上審理を遂げ次のとおり判決する。

主文

被告人山本貢、同大牧理七郎、同沢田昭三、同岡村英治をそれぞれ、懲役一〇月及び罰金一〇〇、〇〇〇円に、被告人織田甲子彦を懲役一年六月及び罰金二〇〇、〇〇〇円に、被告人中野郁男を懲役一年及び罰金一〇〇、〇〇〇円に、被告人江銘勝を懲役四月に処する。

被告人山本貢、同大牧理七郎、同沢田昭三、同織田甲子彦、同岡村英治、同江銘勝、同中野郁男に対し、それぞれ、本裁判確定の日から三年間右各懲役刑の執行を猶予する。

被告人山本貢、同大牧理七郎、同沢田昭三、同織田甲子彦、同岡村英治、同中野郁男において右罰金を完納することができないときは、それぞれ金一、〇〇〇円を一日に換算した期間その被告人を労役場に留置する。

訴訟費用中、証人中村竹夫、同稲山礼治、同松俊一、同畑中辰一、同加生正直、同長谷川雅道、同田中市松、同正木正一、同梅村喜代子、同小林民雄、同笠原修治(昭和三四年一〇月二〇日の公判期日に関する分)、同井戸田逸男、同大前千太郎、同滝野輝雄、同永易茂利三、同武田清、同浜田冨保、同宮崎健一郎、同江口健司、同横田正統、同吉位貞一、同中川和、同田辺昭一、同橘高正昭、同中沢秀雄、同高倉金三、同西村保彦、弓岡隆久、同遠藤三郎、同南谷正美、同中村正裕、同楠本光雄、同八木谷啓三、同石井豪輝、同糟谷義昭、同古賀照敏、同蔭山正春、同大山義雄、同赤松峯雄、同北島武雄、同山東直造、同中山武夫に関する分は、被告人山本貢、同大牧理七郎、同沢田昭三、同織田甲子彦、同岡村英治、同江銘勝、同中野郁男の連帯負担とし、証人萩原恭六に関する分は、被告人山本貢、同大牧理七郎、同沢田昭三、同織田甲子彦、同岡村英治、同江銘勝の連帯負担とし、証人大河内五郎、同安村泰三、同中村正已、同八木秀夫、同榊原冴子に関する分は、被告人山本貢、同大牧理七郎、同織田甲子彦、同岡村英治、同中野郁男の連帯負担とし、証人鈴木嶋治、同平井猪志士、同東脩司、同鷹野久雄に関する分は、被告人山本貢、同織田甲子彦、同中野郁男の連帯負担とし、証人寺田岩夫、同渥美謙二、同波来屋桂に関する分は、被告人大牧理七郎、同織田甲子彦、同中野郁男の連帯負担とし、証人山本利夫、同川島秀雄、同前田悦也に関する分は、被告人大牧理七郎、同中野郁男の連帯負担とし、その余の分(但し昭和三四年一〇月三日出頭した証人笠原修治に関する分は除く。)は、被告人山本貢、同大牧理七郎、同沢田昭三、同織田甲子彦、同岡村英治、同中野郁男の連帯負担とする。

被告人江銘勝に対する公訴事実中、同被告人が、林進堂、中野郁男、山本貢、大牧理七郎、沢田昭三、織田甲子彦、岡村英治、林炳松等と共謀の上、所轄神戸税関の許可を受けずに、いずれも、神戸市生田区波止場町所在株式会社神戸富島組所属B保税上屋より、昭和三〇年六月二四日頃綿織物合計三三七、四一四ヤードを神戸港に淀泊中の香港行船舶エレンマーク号に積載して密輸出し(昭和三〇年九月二七日付起訴状記載の公訴事実第二)、同年七月一日頃、綿織物合計一九七、七九〇ヤードを神戸港に淀泊中の香港行船舶第五満鉄丸に積載して密輸出した(同年一一月一六日付起訴状記載の公訴事実第二)との点は、いずれも無罪。

理由

(被告人等の身分及び経歴)

被告人中野郁男は、終戦後、京都市中京区新町通に居を構え大阪市東区北久太郎町三丁目二二番地及び東京都中央区日本橋八丁堀一丁目一番地にそれぞれ店を設け松永洋行の名で繊維類の国内向け卸販売及び綿布類の台湾向け輸出貿易を営んでいた台湾人林炳松及びその弟林進堂に雇われ、右大阪市東区北久太郎町三丁目二二番地に設けられた松永洋行の店(以下松永洋行大阪店と略称する。)に勤務し、林炳松と協議連絡しつつ主として右大阪店の営業を主宰していた林進堂の指揮下にあつて、同店の営業に従事し、店員中の上席者として右林進堂を補佐する地位にあつたもの、被告人山本貢は、昭和二七年頃松永洋行の店員となり、松永洋行大阪店に勤務し、主として貿易関係の船積書類の作成等の事務に従事していたもの、被告人大牧理七郎は、昭和二一年頃松永洋行に雇われ、松永洋行大阪店開設後は店員として同店に勤務していたもの、被告人沢田昭三は、昭和二一年頃松永洋行に雇われ、松永洋行大阪店開設後は店員として同店に勤務し主として経理関係事務を担当していたもの、被告人江銘勝は、林進堂及び林炳松の親戚に当り、昭和一五年頃台湾より来日し、以来林炳松のもとで働き、前記のように、東京都中央区日本橋八丁堀一丁目一番地に松永洋行の店舗(以下松永洋行東京店と略称する。)が開設された後は店員として同店に常駐し、監督のため時折来店する林炳松の指揮を受け、松永洋行大阪店から送られて来る商品の売りさばき等の営業に従事していたもの、次に、被告人織田甲子彦は、昭和二五年頃から株式会社富島組に雇われ、神戸市生田区波止場町中突堤に保税上屋を保有して運送仲立、税関貨物取扱等の業務を営んでいた同会社神戸支店に勤め、輸出係長の地位にあり、昭和二九年一一月一日、株式会社富島組神戸支店の職員の一部をもつて新たに株式会社神戸富島組が設立され、株式会社富島組神戸支店の業務を事実上承継するや、右神戸富島組の取締役に就任し、同会社の輸出関係の通関業務を担当していたもの、被告人岡村英治は昭和二四年来、株式会社富島組神戸支店に勤務し、輸出関係の通関業務を担当し、昭和二九年一一月一日、右株式会社神戸富島組が設立されるや、同会社に入社し、被告人織田の指揮下に輸出関係の通関業務を担当していたものである。

(罪となるべき事実)

林進堂及び林炳松は、松永洋行の名で台湾向けの綿布輸出貿易を行ない利益をあげていたところ、昭和二七年頃、台湾側の輸入規制の方針が変り、台湾相手の綿布輸出貿易をなし得なくなつたため、繊維品の国内向け卸売に転じたが、商況が思わしくなく、加えるに、かねて林炳松が多額の投資をして経営に力を注いでいた国際新聞社の経営も悪化し、更に、林進堂が一時手を出していた手形金融においても多額の損失を蒙り、昭和二八年後半頃から、松永洋行は、営業が振わず、取引は著しく減少し、松永洋行大阪店では、店員等も仕事が乏しく閑散な日を送る状態に陥つたところから、昭和二九年三月頃、林炳松は、林進堂と協議の上、松永洋行として香港向け輸出貿易に活路を見出すため、貿易市場調査の目的で香港に渡航し、かねてから同地において貿易業を営んでいた自己の甥林平山等と共同で香港徳忌笠街に事務所を置き、これを松永洋行の香港貿易の拠点たらしめる意図で、松永行なる名称のもとに活動を始めるに至り、一方、大阪に残留した林進堂は、林炳松からの連絡に基づき、他の貿易商社と交渉し、未晒綿布若干を他商社名義で香港に向け輸出する取引を試みたが、採算がとれないため継続することなく中止した。ついで、林進堂は、同二九年五月中旬頃、林炳松からの示唆に基づき、ある種の商品については、当該商品が輸出されたことの証明書によつて原料買付用の外貨割当が得られる関係上輸出向けとして当該商品を購入する場合には、当該商品の輸出証明書の返還を条件とする限り、内地向けとして購入する通常の場合より低廉な価格で購入できることを利用し、予め通関業者の協力を得た上、かかる二重価格の行なわれている適当な商品を選び実際は国内に転売する意図であるのに、これを輸出用として廉価な輸出向け価格で購入し、輸出向け梱包を施した該商品の貨物(以下国内引取用貨物と略称する。)について輸出申告をなし、輸出許可を受け、他方、国内市場価格と香港市場価格及び為替関係を考慮の上、国内で買いつけ香港に輸出し同地で販売した場合の損失ができる限り少ないような適当な商品を選び、これを購入し、輸出向け梱包を施した当該商品の貨物(以下船積用貨物と略称する。)を保税上屋に搬入し、該貨物については輸出申告をせず輸出許可を受けていないのに拘らず、輸出許可を受けた国内引取用貨物であるかの如く装つて右船積用貨物を国内引取用貨物に代えて船積して香港に向け輸出し、香港に到着した該貨物を在香港の林炳松等、香港松永行関係者において引き取り販売し、他方保税上屋に搬入してある国内取引用貨物は、これを税関の許可を受けることなくひそかに国内に引き取り、販売して、仕入価格と販売価格の差を利得するという方法により、船積用貨物の輸出により生ずる損失を補つて余りある利益をあげようと企て、その頃、松永洋行大阪店において、被告人中野、同山本、同大牧、同沢田に情を明かして右計画の実行を謀つたところ、被告人中野、同山本、同大牧、同沢田は、これを了承し、適当な商品を選び各人協力して右計画を実行することに賛成した。かくして、林進堂の命により、被告人中野、同山本、同大牧、同沢田において右計画の用に充つべき商品を物色調査した結果、その頃、林進堂と被告人中野、同山本、同大牧、同沢田の間で先ず国内引取用貨物に晒綿布三桃一〇、〇〇〇番を、船積用貨物に未晒綿布二、〇〇三番を用いて計画を実行することを決め、香港の林炳松にも連絡して了承を得、更に、右計画を成功させるには輸出入貨物の通関手続を代行し保税上屋に対する貨物の出し入れを扱う通関業者の協力が不可欠であるところから、同月下旬頃、林進堂の発意に基づき、被告人中野において、株式会社富島組神戸支店の輸出関係通関業務を担当する被告人織田甲子彦を神戸に訪ね、前述の如く通関手続において国内引取用貨物と船積用貨物とを用意し、輸出許可を受けた国内引取用貨物を税関の許可なく保税上屋から搬出して国内に引き取り、輸出許可を受けていない船積用貨物をこれに代えて船積して輸出する方法(以下この方法をすりかえ輸出と略称する。)の骨子を告げて協力を依頼したところ、被告人織田も、当時経営不振の状態にあつた同支店にとつて苦境打開の好機と考えて依頼を承諾し、通関手続の面で右すりかえ輸出に協力することを約し、自己の部下として同支店において輸出関係の通関手続の具体的事務を担当していた被告人岡村英治に事情を明かして松永洋行のすりかえ輸出に協力するよう要請し、被告人岡村も承諾して協力を約し、ここに、被告人中野、同山本、同大牧、同沢田、同織田、同岡村は、林進堂及び林炳松等香港松永行関係者数名とも順次意思相通じて右すりかえ輸出の計画を実行することについて共謀を遂げ、林進堂は、右計画実行の指揮並びに国内引取用貨物及び船積用貨物の買受等を、被告人中野は、国内引取用貨物と船積用貨物の組合わせ及びその船積、引取の計画作成、資金繰り、香港松永行との連絡等を、被告人山本は、輸出申告書その他輸出手続に必要な書類の作成、準備、銀行の認証の獲得、通関手続の依頼等を、被告人大牧は、国内引取用貨物の引取り、船積用貨物に対する梱包及び記号番号の刷込の指示監督等を、被告人沢田は、国内引取用貨物及び船積用貨物の購入代金の支払、国内に引取つた貨物の販売及びその販売代金の徴収等を、被告人織田、同岡村は、配下の担当係員に指図して、右計画達成に必要な通関事務、船積用貨物の船積等の仕事を、それぞれ担当し、前記すりかえ輸出の方法で、(但し、別表密輸出表その一中番号三五、三六記載のあまぞん丸及び恵山丸に船積して輸出した分の一部については、香港松永行側の手配によりすりかえ輸出のための船積が予定されたのに、所要の国内引取用貨物の準備が遅れて間に合わない等の理由から、輸出申告に際し輸出価格を実際より高価に申告し、右申告を基として交付される原料買付用外貨割当を得るに必要な輸出証明書を横流しすることによる利得獲得を目的として、国内引取用貨物に充つべき輸出申告書記載の貨物を新たに保税上屋内に搬入しないまま、それ以前のすりかえ輸出実行の際に通関手続に付し輸出許可を受けて外国貨物となつた後未だ国内に引取られずに残置されてあつた貨物で、その品目、梱包個数が新たな輸出申告書記載のそれと一致するものを、税関の現品検査に備えるためそのまま保税上屋内に存置し、もし現品検査が行なわれた際には、右貨物を新たな輸出申告書記載の貨物として係官に示し欺罔することにより、船積貨物に対する現品検査を免れ得るよう手配りした上で、予め保税上屋内に搬入しておいた輸出許可を受けていない船積用貨物を輸出申告書記載の貨物の如く装つて船積し輸出するという若干形態を異にした方法によつた。)すりかえ輸出を始め、同二九年八月二七日及び同年九月九日にそれぞれフーニン及びチヨイサンの各船舶を利用しすりかえ輸出の方法により税関の許可なく貨物を輸出するについては(別表密輸出表その二の分)、当時香港松永行に出向して、林炳松等の指揮下に、到着した貨物の売さばきや松永洋行大阪店との連絡事務を担当していた被告人江銘勝との間においても共謀を遂げ、更に、昭和三〇年五月初頃からは(別表密輸出表その一番号四二、四三、四四の一部、四五の一部、四六ないし五三について)かねがね、被告人織田から、当時、林進堂及び被告人等が行なつていた綿製品を船積用貨物とし、毛糸、毛製品を国内引取用貨物とする組合わせのすりかえ輸出は、品目が著しく相違する関係上発覚の危険があるので中止して欲しい旨の申出があつたこと、当時毛製品については国内市場価格が低下してこれを国内引取用貨物として国内に引取つても差額の利得が少なくなつたこと、しかして、当時香港においては円貨のドル貨に対する為替相場について、正規の決済方法による公定為替相場と正規の決済方法によらない、いわゆる闇相場との間に差があり、闇為替相場における円貨の価値は公定為替相場における円貨の価値より低く、従つて、もし、輸出申告書記載の品目の貨物を輸出する如く装つて実際はこれと異つたより高価な価格の品物を船積用貨物として、税関の許可なく輸出し、輸出先たる香港において該貨物を引取り販売して得た代金を、正規の送金方法によらずいわゆる闇送金の方法で日本国内に送金して円貨に代えれば、前述の為替相場の差による利得を得ることができるところから、すりかえ輸出の具体的方法に変更を加え、廉価な綿製品を輸出品目とする輸出申告をしながら、輸出申告書の記載と梱包記号番号は同じくするが、貨物の内容を異にし、より高価な綿製品を包装してある貨物を船積用貨物として保税上屋に搬入し、該貨物については何等輸出許可を受けていないのに、これを輸出申告書記載の貨物である如く装つて香港(後にはマカオ)に向け船積して輸出し、一方輸出申告書の記載と一致する廉価な品目の綿製品に輸出向け梱包を施したものを予め保税上屋に搬入しておいて税関の現品検査に備え、該貨物を船積用貨物輸出後も引き続き保税上屋内に存置してその後における右方法による新たな船積用貨物の輸出の際にも再び現品検査に備えるための用をなさしめるという方法を主として用いるに至り、このようにして、被告人中野、同山本、同大牧、同沢田、同織田、同岡村は、林進堂及び林炳松等香港松永行関係者数名と共謀の上(後記第二記載の分については被告人江銘勝とも共謀の上)、後記第一(一)(二)及び第二の各犯罪を行ない、次に被告人江銘勝は、昭和二九年六月頃、松永洋行東京店を離れて香港松永行に出向し、同所において活動中の林炳松等の指揮下に入り、同年八月末頃までの間に、林炳松等より指導を受けて、前示すりかえ輸出の方法を知り、林炳松等を通じて順次林進堂及び他の被告人等六名と意思相通じ、相協力してすりかえ輸出の仕事の一翼を担当することを決意するに至り、被告人中野、同山本、同大牧、同沢田、同織田、同岡村、林進堂及び林炳松等香港松永行関係者と共謀の上、右林炳松等の指揮下に、自らは主として船積用貨物の決定等すりかえ輸出の計画実行の打合わせのための松永洋行大阪店に対する通信連絡及び香港に到着して貨物の売りさばき等の仕事を担当し、後記第二記載の各犯罪を行なつた。即ち、

第一、被告人中野郁男、同山本貢、同大牧理七郎、同沢田昭三、同織田甲子彦、同岡村英治は、林進堂及び林炳松等数名と共謀の上、

(一)  昭和二九年六月二日頃から同三〇年八月一日頃まで五三回にわたり、別表密輸出表その一記載のとおり、同表密輸出年月日欄記載の各日時に、いずれも神戸市神戸港において、予め、神戸税関に対し、同表輸出許可品目欄記載の繊維製品を輸出品目とする輸出申告をなし、これに対し同税関より同表輸出許可年月日欄記載の日時に輸出許可を受けながら、右輸出許可に係る品目と異つた品目の繊維製品を内容とし、これをあたかも右輸出許可を受けた貨物であるかの如く梱包記号番号を輸出申告書記載のものに一致させて梱包した上神戸市生田区波止場町中央突堤株式会社富島組B保税上屋(昭和三〇年四月一日以降は株式会社神戸富島組B保税上屋となる。)内に搬入しておいた同表密輸出品欄記載の各貨物(その品目、梱包記号、番号、個数、数量、価額は、同表密輸出品欄記載のとおり。)を、いずれも税関の輸出許可を受けないのに拘らず、情を知らない艀回遭業者従業員等の手により、神戸港に淀泊中の同表積込船舶欄記載の香港もしくはマカオ向け各船舶に船積し、以つて、同表密輸出品欄記載の各貨物をそれぞれ、税関の輸出許可を受けないのに、同表仕向地欄記載の外国に向け送り出して各輸出し、

(二)  昭和二九年七月二日頃から、同三〇年五月二一日頃まで六二回にわたり、別表密輸入表番号一ないし六二記載のとおり、同表密輸入年月日欄記載の各日時に、同表密輸入場所欄記載の各場所において、それぞれ神戸税関に対し輸出申告をなして同表輸出許可欄記載のとおりの各輸出許可を受け、且つ、同表密輸入場所欄記載の保税上屋に搬入しておいた同表密輸入品欄記載の綿布、毛糸、毛織物から成る各貨物(その品目、梱包記号、番号、個数、数量、価額は同表密輸入品欄記載のとおり)を、税関の輸入許可を受けないのに拘らず、情を知らない運送業者従業員等の手により、在庫する保税上屋内より搬出して本邦内に引取り、以つて、右各貨物をそれぞれ税関の輸入許可なくして輸入し、

第二、被告人中野郁男、同山本貢、同大牧理七郎、同沢田昭三、同織田甲子彦、同岡村英治、同江銘勝は、林進堂及び林炳松等数名と共謀の上、昭和二九年八月二七日及び同年九月九日の二回にわたり、別表密輸出表その二番号一及び二記載のとおり、同表密輸出年月日欄記載の各日時に、いずれも神戸市神戸港において、予め神戸税関に対し同表輸出許可品目欄記載の繊維製品を輸出品目とする輸出申告をなしこれに対し税関より同表輸出許可年月日欄記載の日時に輸出許可を受けながら、右輸出許可に係る品目と異つた品目の繊維製品を内容とし、これをあたかも右輸出許可を受けた貨物であるかの如く梱包記号番号を輸出申告書記載のものに一致させて梱包した上、神戸市生田区波止場町中央突堤株式会社富島組B保税上屋内に搬入しておいた同表密輸出品欄記載の各貨物(その品目、梱包記号、番号、個数、数量、価額は、同表密輸出品欄記載のとおり。)を、いずれも税関の輸出許可を受けないのに拘らず、情を知らない艀回遭業者従業員等の手により、神戸港に淀泊中の同表積込船舶欄記載の香港向け各船舶に船積し、以つて同表密輸出品欄記載の各貨物をそれぞれ税関の輸出許可を受けないのに香港に向け送り出して各輸出した

ものである。

(証拠の標目) ≪省略≫

(法令の適用)

被告人中野郁男、同山本貢、同大牧理七郎、同沢田昭三、同織田甲子彦、同岡村英治の判示各所為中、判示第一(一)別表密輸出表その一中一ないし四の各所為はいずれも関税法(昭和二九年法律第六一号)附則第一三項により、同法による改正前の関税法(明治三二年法律第六一号)第七六条第一項、刑法第六〇条に該当し、判示第一(一)別表密輸出表その一中五ないし五三の各所為並びに判示第二(別表密輸出表その二中一及び二)の各所為は、いずれも関税法(昭和二九年法律第六一号)第一一一条第一項、刑法第六〇条に該当し、判示第一(二)(別表密輸出表中一ないし六二)の各所為は、いずれも関税法(昭和二九年法律第六一号)第一一一条第一項、刑法第六〇条に該当するところ、いずれも犯情により懲役及び罰金を併科することとし、以上は刑法第四五条前段の併合罪であるから、懲役刑については、刑法第四七条本文、第一〇条により最も重い判示第一(一)別表密輸出表その一中四の罪の刑に法定の加重をなした刑期範囲内で処断し、罰金刑については、刑法第四八条により、各罪の罰金額の合算額の範囲内で処断し、これと懲役刑を併科することとする。次に、被告人江銘勝の判示第二(別表密輸出表その二中一及び二)の各所為は関税法(昭和二九年法律第六一号)第一一一条第一項、刑法第六〇条に該当するところ、所定刑中懲役刑を選択し、以上は、刑法第四五条前段の併合罪であるから、刑法第四七条本文、第一〇条により犯情の重い別表密輸出表その二中一の罪の刑に法定の加重をなした刑期範囲内で処断することとする。そこで本件の情状について考えてみると、本件犯行は極めて巧妙に計画され組織的に遂行された密輸出入犯罪であり、被告人江銘勝を除く爾余の被告人については犯行回数も長期且つ多数回にわたり、密輸出及び密輸入された貨物の数量、価額は莫大な額に達するものであり、被告人等が我国の正常な貿易通関手続に背いてかかる大規模な密輸出入犯罪を犯した責任はたやすく看過し得ないものがある。(但し、被告人江銘勝については、有罪とされた犯行が密輸出二件に止まるから、その犯情は他の被告人に比し著しく軽い。)しかしながら、本件各犯行は、いずれも、すりかえ輸出(前記のようにその具体的方法には相違がある。)の方法で行なわれたものであるため、すりかえ輸出の方法によらない通常の典型的な密輸出犯密輸入犯に比し、我国の貿易経済に及ぼす実質的な被害、悪影響という面においては幾分趣を異にし、犯情において軽いものがあることを否定することはできない。更に、本件における各被告人の地位を考えるのに、松永洋行の経営者として本件犯行を計画し、主宰し、よつて莫大な利益を挙げたのは林進堂及び林炳松であつて、被告人中野、同山本、同大牧、同沢田、同江は、それぞれ地位の軽重はあつても、いずれも、松永洋行の店員に過ぎず、経営者たる林進堂もしくは林炳松の指示に従い、本件犯行に参加するに至つたもので、給料及び手当を得た外には、林進堂及び林炳松の挙げた莫大な利益の分前には与つていないのであるから、その犯情において、本件犯行を主宰した松永洋行の経営者のそれとは著しく異り酌情すべき余地が認められ、更に、被告人江銘勝に至つては、その犯行回数も少なく、犯情は一段と軽いと言わなければならない。次に、被告人織田は、林進堂から、被告人中野を介して本件すりかえ輸出の犯行に協力方の依頼を受けるや、依頼を拒み難い格別の事由があつたわけでもないのに、依頼を承諾し、本件犯行成否の鍵ともいうべき通関手続の面において松永洋行側の企画に副つて貨物の船積、引取をなすよう手配をなし松永洋行側に協力し密輸出、密輸入を遂げたものであり、その役割の重要性に照らて、その責任は決して軽いとは言えないが、同被告人も、当時自己の属していた株式会社富島組の苦境を挽回する方策として右依頼を引受けたもので、すりかえ輸出による収益の分前を狙つての専ら自己の私腹を肥やす意図から犯行に参加したものとは認められず、犯行開始後もしばしば松永洋行側に中止方を申し入れながら、その都度林進堂等の強い要請を受けて断り切れず犯行を継続したことを認めることができ、被告人岡村については、被告人織田の部下として、その指揮に従い本件犯行に関与協力したもので、被告人織田同様、本件による収益の分前を狙つての犯行とは認められず、いずれも、犯情に酌情すべきものがある。よつて、各被告人について、それぞれ、叙上の点その他諸般の事情を考慮した上、右処断刑期及び金額の範囲内で、被告人山本貢、同大牧理七郎、同沢田昭三、同岡村英治をそれぞれ懲役一〇月及び罰金一〇〇、〇〇〇円に、被告人織田甲子彦を懲役一年六月及び罰金二〇〇、〇〇〇円に、被告人中野郁男を懲役一年及び罰金一〇〇、〇〇〇に、被告人江銘勝を懲役四月に処し、被告人山本貢、同大牧理七郎、同沢田昭三、同岡村英治、同織田甲子彦、同中野郁男、同江銘勝に対して、情状により、刑法第二五条第一項を適用してそれぞれ本裁判確定の日から三年間右各懲役刑の執行を猶予し、被告人山本貢、同大牧理七郎、同沢田昭三、同織田甲子彦、同岡村英治、同中野郁男において右罰金を完納することができないときは、刑法第一八条により、それぞれ、金一、〇〇〇円を一日に換算した期間その被告人を労役場に留置することとし、訴訟費用については、刑事訴訟法第一八一条第一項本文、第一八二条により、主文記載のとおり、被告人等にその負担をさせることとする。

(被告人江銘勝に対する無罪の理由)

被告人江銘勝に対する公訴事実中、

被告人江銘勝は、林進堂、中野郁男、山本貢、大牧理七郎、沢田昭三、織田甲子彦、岡村英治、林炳松等と共謀の上、所轄神戸税関の輸出許可を受けずに、いずれも、神戸市生田区波止場町所在株式会社神戸富島組所属B保税上屋より

一、昭和三〇年六月二四日頃、綿布三桃一〇、〇〇〇番約八四、〇〇〇ヤード、綿布桜孔雀四、〇〇〇番約一、五〇〇ヤード等綿織物各種類合計三三七、四一四ヤード(一二五ケース、二八ベール)(価格合計約二三、六九五、二六〇円相当)を神戸港に淀泊中の香港行エレンマースク号に積載して密輸出し(昭和三〇年九月二七日付起訴状記載公訴事実第二)、

二、昭和三〇年七月一日頃、綿布飛竜五五五番約三〇、〇三〇ヤード、綿布三桃一〇、〇〇〇番約八五、二六〇ヤード等綿織物各種類合計一九七、七九〇ヤード(八五ケース)(価格合計約一二、八五五、九〇〇円相当)を神戸港に淀泊中の香港行第五満鉄丸に積載して密輸出した(昭和三〇年一一月一六日付起訴状記載公訟事実第二)

との点について判断する。

被告人江銘勝を除く他の被告人等六名即ち被告人中野郁男、同山本貢、同大牧理七郎、同沢田昭三、同織田甲子彦、同岡村英治が、林進堂及び林炳松等と共謀の上、右一、二記載の各密輸出を犯した事実は、被告人江銘勝に対する関係においても、さきに判示したと同一に認定されるから、被告人江銘勝が右二個の密輸出の訴因について有罪と認め得るか否かは、同被告人林進堂等の犯した右各密輸出について共同正犯の関係に立つことを認定し得るか否かに繋ることとなる。被告人江銘勝の検察官に対する各供述調書、第三四回、第四二回、第四三回各公判調書中被告人江銘勝の供述記載、林進堂の検察官に対する昭和三〇年一一月一四日付供述調書、被告人中野郁男の検察官に対する昭和三二年三月八日付供述調書、被告人大牧理七郎の検察官に対する昭和三〇年八月三一日付(第七回)供述調書を綜合すれば、被告人江銘勝は、昭和二九年六月頃香渡に渡航して後、同地にあつて、同年八月末頃以降、本件すりかえ輸出の仕事に関与していたところ、同年一二月頃から翌昭和三〇年五月中旬頃までの間は病を得て入院したため、すりかえ輸出の仕事から離れていたが、同年五月中旬頃から再び香港松永行の勤めに復帰し、本件すりかえ輸出関係の仕事に従事しているうち、香港における滞在許可の期間が終了したため、同年六月一〇日日本に帰国し、同月一二日頃から、同月二〇日過ぎまで松永洋行大阪店に出勤し、その間、林進堂に対しすりかえ輸出の仕事を続けるについての参考として、本件により密輸出された貨物の香港における相場、密輸出貨物に選ぶのに適した貨物の品目、その他本件密輸出遂行に関連する香港の情勢等を報告し、林進堂からの相談に与つた程度で、すりかえ輸出の実行に関与することもなく、その後は松永洋行大阪店を去つて、香港渡航前の自己の職場であつた松永洋行東京店に勤務し、同店の業務に従事していたことを認めることができるが、同店に復帰してから行なつたすりかえ輸出関係の仕事としては、松永洋行大阪店からの指示に基づき、香港からの送金を指定先から受け取り、これを松永洋行大阪店に送金した事実を認め得るに過ぎず、松永洋行東京店における被告人江銘勝の主要業務が、すりかえ輸出の仕事の一端を分担するものであつたことを認定するに足りる証拠はない。しかして、前記証拠の標目掲記の各証拠中別表密輸出表その一中五〇、五一の各事実について掲げた各証拠を綜合すれば、前記昭和三〇年六月二四日頃のエレンマースクによる密輸出及び同年七月一日頃の第五満鉄丸による密輸出に供せられた貨物の選定、組合わせは、被告人江銘勝が帰国し前記の如く松永洋行大阪店で林進堂に香港の情勢を報告する以前に決定していたことを認めるに足り、従つて、被告人江銘勝の報告に基づいて右二個の密輸出の準備計画が行なわれる等、被告人江銘勝が、右報告により右二個の密輸出の準備、計画に関与して共謀に加わつたものと認定するには疑問があり、かかる認定をなすに足る証拠はない。また、香港滞在中の被告人江銘勝が、前示の如く病気が治つてすりかえ輸出関係の仕事に復帰してから帰国するまでの間においては、本件すりかえ輸出について林炳松等及び他の被告人等と共謀関係にあつたとしても、前示の如く、日本帰国後における被告人江銘勝は、証拠上必ずしも、すりかえ輸出の仕事の分担を主要業務としていたとは断定し難い状態にあり、従つて、被告人江銘勝については、同被告人は、香港からの帰国と共に、従前のすりかえ輸出関係の仕事に関する役割から離れ、すりかえ輸出についての共謀関係から離脱したのでないかとの疑を否定し得ず、同被告人につき日本帰国後も右共謀関係の存続していたことを認定するに足る証拠もない。然らば、結局、被告人江銘勝に対する公訴事実中右二個の密輸出の点は同被告人について、実行行為はもとより共謀関係の成立を認めるに足る証拠もなく、犯罪の証明がないこととなるので、刑事訴訟法第三三六条により被告人江銘勝に対し無罪の言渡をする。

(本件公訴事実中関税逋脱の点に関する判断)

本件公訴事実中関税逋脱の点は、被告人中野、同山本、同大牧、同沢田、同織田、同岡村が共謀の上昭和二九年七月二日頃から同三〇年五月二一日頃までの間六四回にわたり、輸出許可を受けた外国貨物である綿布、毛糸、毛織物合計八八四ケース及び三、一三三ベール(時価合計八二五、三二二、二〇〇円)を神戸税関の許可を受けずに神戸市生田区波止場町中突堤株式会社富島組B保税上屋(昭和二九年一〇月以降は株式会社神戸富島組B保税上屋)から本邦内に搬出して引取るに際し関税合計一〇三、六六八、七二〇円を逋脱したというのである。

右公訴事実において関税逋脱の行なわれた犯行期間とされている昭和二九年七月二日頃から同三〇年五月二一日頃までの間について当時施行されていた改正前の関税定率法第一四条第一〇号によれば、本邦から輸出された貨物でその輸出の許可の日から二年以内に輸入され、その許可の際の性質及び形状が変つていないものについては関税を免除すべき旨が規定されている。その趣旨は、本邦から輸出された貨物はもともと国産品であるか、外国製品であるとしても既に関税を賦課徴収された貨物であることを常態とするところ、かかる品物については、輸出許可を受けた際の性質、形状に変化がなく、且つ輸出許可後長期間を経ていない限り、輸入関税賦課の重要な目的たる国内産業保護の面においては関税を課する必要のないことを重視し、且つ、関税の既課税品については課税の衡平をも考慮し、かかる品物についてまで再び課税して財政収入をはかることは関税制度上合理性を欠くものとして、法文所定の要件のもとに関税を免除することとしたものと解せられる。然らばこの趣旨は、関税法に謂う「輸出」された貨物には該らないが、既に輸出の許可を受けたが未だ輸出前の貨物を保税上屋から本邦内に引取る場合についても当然に妥当するものであつて、この場合を「輸出」された貨物を輸入する場合と区別すべき合理的な理由はない。従つて、関税定率法第一四条第一〇号の解釈上、輸出の許可を受けたが未だ輸出されるに至らなかつた貨物を保税上屋から本邦内に引取り輸入する場合についても、同条同号所定の要件のもとに関税の免除をなすべきものと解するのが正当である。次に、本件において関税逋脱がなされたものとされている貨物は、いずれも、税関の許可なくして輸入された密輸入貨物であり、もとより税関の関税免除処分もなされていないことは明らかである。しかし、関税定率法第一四条第一〇号において同号所定の貨物につき所定の要件のもとに関税を免除すべきものとした趣旨は、同条同号所定の輸入貨物については、それが国産品であるか、外国製品であつても既にかつて関税を賦課徴収された貨物で、性質、形状も変らず、輸出後長期間を経過していないという輸入貨物それ自体の性質に照らし関税を課すべきでないとされるためであるから、当該輸入に際し税関の輸入許可を得たか否かにより免税の有無が左右さるべき理由はない。(この点、密入国者の携帯貨物に対する関税定率法第一四条第七号適用の是非の問題等とは趣を異にする。)しかして、税関は、手続上、関税定率法第一四条第一〇号所定の要件に合致すると認定された輸入貨物については必ず関税の免除処分をなすべきもので、右認定及び処分について税関の自由裁量の入る余地のないことも同条同号の規定上明らかである。従つて、同条同号の要件に合致する貨物は、観念的には有税品であつても、税関としては、右要件に合致することが認定される限り必ず免税処分をなすべき関係にある以上、本来、実質的にはこれによる関税収入を期待し得ない性質の貨物であると言わなければならない。されば、かかる性質を有する関税定率法第一四条第一〇号該当の貨物については、これを税関の輸入許可及び関税免除処分を受けることなく本邦内に引取つたとしても、かかる行為は、関税法第一一〇条第一項第一号所定の「関税を免かれた」行為に該らないと解するのが正当であり、以上の理は、輸出の許可を受けたが未だ輸出前の貨物を引取る場合で同条同号所定の要件に合致するものについても全く同一に解すべきである。よつて、本件公訴事実中関税法第一一〇条第一項第一号所定の関税逋脱罪に関する点は同罪を構成しないが、右の点は、判示密輸入の罪と刑法第五四条第一項前段の関係にあるものとして起訴されたものと認められるから、主文において特に無罪の言渡をしない。

(弁護人の主張に対する判断)

一、本件について名古屋税関長のなした告発が無効である旨の主張について。

弁護人は、本件について名古屋税関長のなした告発は、本件の各行為が名古屋税関の管轄区域外で行なわれたものであり、税関長はその税関の管轄区域外で行なわれた犯則事件については権限を有しないから右告発は無効であり、本件については公訴を棄却すべき旨主張する。

大蔵省設置法第二四条によれば、本件各犯行が同条において名古屋税関の管轄区域として規定された地域の外で行なわれていることは明らかである。しかしながら、税関の掌る事務のうち、関税法違反の犯則事件の調査処分に関する事務については、税関の他の所掌事務の場合と異り、性質上広範囲の地域に関連しつつ推移することの多いこの種犯則事件を機を失せず把握して適切な調査処分をなし、その実体を明らかにし、以つて犯則行為を防止し徴税目的の達成に遺憾のないようにすることが要求されるのであるから、そのためには、単に犯則行為の行なわれた地で管轄する税関のみならず、犯則行為に関連を有する地を管轄する税関も該犯則事件について必要な調査処分をなし得るものとすることが、該事務の適正且つ能率的な遂行に必要であると考えられる。しかして、法令上、特定の犯則事件を特定の税関の土地管轄に結びつける要件を定めた明文の規定はないが、右の如き犯則事件の調査処分に関する事務処理上望まれる要求と、犯則嫌疑者側の利害とを比較考慮し、犯則事件の調査処分に関する事務についての税関の権限については、単に当該犯則行為の行なわれた地を管轄する税関のみならず、自己の管内において該犯則事件の調査の端緒が発見され、もしくは、該犯則事件の延長とみられるような事実が管内に波及する等およそ、当該犯則事件につき相当の関連を有する事実が発生するに至つた地を管轄する税関も当該事件につき自己の権限として必要な調査処分をなし得るものであり、従つて、税関長の告発処分についても同様であると解するのが相当であり、かく解するも税関の管轄を定める法令の規定と矛盾するものはない。しかして、第一〇回公判調書中証人萩原恭六、第一六回公判調書中証人後藤啓一、第一七回公判調書中証人中村正己の各供述記載によれば、本件に対する名古屋税関長の告発がなされるに先立つて、本件犯行の中で被告人等が密輸入をして国内に引取り売却した国内引取用貨物の一部が愛知県一宮市の倉庫に流入して来ており、そのことが本件の発覚の端緒となつたことが認められるから、一宮市を自己の管轄区域内に有する名古屋税関長が本件犯則事実について相当の関連事実が発生するに至つた地を管轄する税関の税関長として犯則事件処理に必要な告発をなしたのは適法であり、従つて、弁護人の右主張は理由がない。

二、当裁判所が本件につき土地管轄を有しないとの主張について。

弁護人は、本件において密輸出密輸入に該るものとして起訴されている各行為の行為地は神戸市であつて愛知県警察の管轄区域外に属し、しかも、本件は、愛知県警察が、警察法第六一条により管轄区域外に権限を及ぼし得る場合にも該らないから、同県警察が、本件の被疑事実を捜査し、被告人中野を除く他の六名の被告人を逮捕したのは違法であり、右逮捕に基づく勾留も違法であり、右被告人等六名が本件について起訴された当時、右違法勾留により、名古屋地方裁判所の管轄区域内に現在していても、右被告人等六名に対する本件の審判について名古屋地方裁判所に土地管轄を生ずる謂れはなく、他に、右被告人等六名に対し本件について名古屋地方裁判所が土地管轄を有すべき理由もないから、右被告人等六名に対しては管轄違の言渡がされるべきである旨主張する。

そこで、被告人等七名中被告人の中野を除く爾余の六名が本件について逮捕、勾留を経て起訴されるに至つた経過を検討すると、右被告人等六名に対する各逮捕状、勾留状によれば、被告人山本、同大牧、同沢田、同織田、同岡村は、いずれも、神戸市を犯罪場所とする密輸出及び関税逋脱の被疑事実につき、愛知県警察の司法警察員の請求により名古屋簡易裁判所の裁判官もしくは神戸地方裁判所の裁判官の発した逮捕状に基づき、それぞれ、大阪市、京都市、兵庫県の各現在地において、愛知県警察の警察官により逮捕された上名古屋市内の愛知県警察本部に連行され、被告人江銘勝は、神戸市を犯罪場所とする密輸出の被疑事実につき愛知県警察の司法警察員の請求により名古屋簡易裁判所の裁判官の発した逮捕状に基づき、名古屋市に出向いて来た折に同市において愛知県警察の警察官により逮捕され、それぞれ、名古屋地方裁判所の裁判官により名古屋市内の各所の留置場に勾留され、その勾留中に名古屋地方裁判所に起訴されたことを認めることができる。次に、第一〇回公判調書中証人萩原恭六、第一六回公判調書中証人後藤啓一、第一七回公判調書中証人中村正已の各供述記載によれば、愛知県警察は、被告人等の逮捕に先立つ数ヶ月前より愛知県一宮市所在の田中倉庫、森吉倉庫等に、毛織物を輸出向けに梱包し、松永洋行が売主名義となつている貨物が運び込まれて来ていることを探知し、税関の輸入許可のない密輸入された貨物が運び込まれて来たのでないかとの疑のもとに、該貨物に関連して関税賍物犯を含む関税法違反の犯罪の有無を内偵していたことが認められ、しかして、被告人沢田の検察官に対する昭和三〇年八月一九日付供述調書、被告人織田作成の密輸出入状況綜合表等によれば、被告人等が、本件犯行当時、保税上屋から引取つて密輸入し諸方に転売した国内取引用貨物の毛織物の一部を森吉倉庫その他の一宮市所在の倉庫にも送り込んでいたことが認められ、愛知県警察が探知し、嫌疑をかける発端となつた森吉倉庫、田中倉庫等所在の前記貨物も、まさしく、本件において被告人等が引取り転売した国内引取用貨物の一部であつたことを推察し得る。しかして、該貨物の搬入につき関税法違反の関税賍物犯の嫌疑を想定する以上、貨物所在地の一宮市がその犯罪場所に含まれることは明らかであり、従つて一宮市を管轄区域内に有する愛知県警察は、右関税賍物犯の嫌疑について捜査する権限を有するところ、想定される関税賍物犯の性質上、右犯罪の嫌疑につき捜査を遂げるには、右犯罪と関連し、その根元をなすと考えられる松永洋行関係の密輸出犯、密輸入犯(及びこれに伴うことの予想される関税逋脱犯)の捜査をなすことが必要であることも明らかであるから、愛知県警察が、一宮市所在の倉庫に流入し来つた貨物を廻つて想定される関税賍物犯の捜査に関連して被告人等を被疑者とする密輸出犯、密輸入犯(及びこれに伴うと考えられる関税逋脱犯)の捜査をなし、その一環として、被告人等七名中被告人中野を除く他の六名について密輸入及び関税逋脱の被疑事実もしくは密輸出の被疑事実を内容とする逮捕状を請求し、発付された逮捕状により、被告人山本、同大牧、同沢田、同織田、同岡村をそれぞれ大阪府、京都市、兵庫県の各現在地において逮捕して名古屋市の愛知県警察本部に連行し、また、名古屋市に出向いて来た被告人江銘勝を同地で逮捕したことは、警察法第六一条所定の管轄区域内における犯罪の捜査に関連して必要がある限度においてその管轄区域外に権限を及ぼした場合に該るものとして適法な権限に属し、管轄違反の違法はない。また、右逮捕された被告人等が勾留された手続にも何等の違法な点も認められない。然らば、右被告人等はいずれも本件起訴当時適法な強制により当裁判所の管轄区域に現在したものと言うことができるから、刑事訴訟法第二条第一項により右被告人等に対する本件公訴につき当裁判所が土地管轄を有することは明らかである。なお、被告人中野に対する本件公訴事実は、同被告人を除く爾余の被告人等六名に対する本件公訴事実と関連するものであるから、刑事訴訟法第九条第一項第二号、第六条により被告人中野に対する本件公訴についても当裁判所は土地管轄を有する。よつて、弁護人の右主張は理由がない。

三、本件各訴因の大部分は密輸出罪もしくは密輸入罪を構成せず貨物の輸出申告に際し貨物の品目についてなされた虚偽申告を構成するに過ぎない旨の弁護人の主張について。

弁護人は本件において密輸出、密輸入の各訴因として構成されている各すりかえ輸出をその形態において、

輸出申告時から輸入許可時までの間、貨物の検査場所として申請された保税上屋内に、

(イ)  国内引取用貨物のみが在庫して船積用貨物は在庫しなかつた場合。

(ロ)  国内引取用貨物も船積用貨物も共に在庫した場合。

(ハ)  船積用貨物のみが在庫し国内引取用貨物は在庫しなかつた場合。

(ニ)  国内引取用貨物も船積用貨物も共に在庫しなかつた場合(他の保税上屋に入庫していた。)。

(ホ)  国内引取用貨物と船積用貨物の双方が在庫していたが、貨物に付せられた記号番号が輸出申告書記載のそれに一致するのは船積用貨物の方で、国内引取用貨物には記号番号が付せられていなかつた場合。

以上の五種に分類し得るとして、

(イ)については、船積用貨物につき密輸出が成立する。しかし国内引取用貨物につき密輸入が成立することには疑問がある。

(ロ)については、被告人等の本件を企てるに至つた意図、目的及び輸出申告をなすに際しての意思、並びに本件の行為全般を通じての情況等に照らし、輸出許可は船積用貨物について有効に成立したものと認められ、従つて、密輸出も密輸入も成立せず、単に輸出申告に際しての虚偽申告を構成するに過ぎない。

(ハ)についても、輸出許可は船積用貨物についてのみ有効に成立していることが明らかであるから、(ロ)の場合と同様。

(ニ)については、輸出許可はいずれに対する関係でも無効であるから、国内引取用貨物についての密輸入は成立しない。船積用貨物についての密輸出の成立には、保税上屋への未搬入申告が許される関係で疑問がある。

(ホ)については(ハ)の場合と同様。

以上の如く主張する。

そこで、右主張につき検討するのに、前示証拠の標目掲記の、押収に係る各輸出申告書、各作業日報、各倉庫台帳、各入出庫伝票類、各入庫報告書類、各出荷(荷渡)(出庫)指図書類、一般船積関係書類綴、被告人等作成の各一覧表類、各被告人の供述調書、及び公判調書にあらわれた各被告人の供述記載等の各証拠を綜合すれば、各国内引取用貨物及び船積用貨物の保税上屋に対する搬入搬出と通関手続の関係を中心として、本件各犯行を次のような諸類型に分類することができるので、便宜上該諸類型につき順次検討を加えることとする。

(1) 弁護人主張の右(イ)に該当する形態(別表密輸出表その一中二〇、二二、二三、二四、三七、別表密輸入表中二二、二四、二七、二九、五一等にその例あり。)。

(2) 弁護人主張の右(ロ)に該当する形態(本件各犯行中判示(1)(3)(4)(5)の諸形態を除いた残りのもので、本件各犯行の大多数を占める。)。

(3) 弁護人主張の右(ハ)に該当する形態(別表密輸出表その一中八、一六、一八、二三、二六、三五、三八、三九、別表密輸入表中五、一五、二〇、二七、三三、三六、四九、五四、五七にその例あり。)。

(4) 弁護人主張の右(ニ)に該当する形態(別表密輸出表その一中二二、二四、別表密輸入表中二六、二九、三〇にその例あり。)。

(5) 輸出申告時から輸出許可時に至るまでの間、輸出申告書記載の申請検査場所たる保税上屋には、輸出申告書記載の品目の貨物も、船積用の貨物も共に在庫していたが、輸出申告書記載の品目の貨物は、当該輸出申告に際し新たに搬入されたものでなく、既に、それ以前のすりかえ輸出の際に、国内引取用の貨物として使用し輸出許可を受け外国貨物となつたものを引き取らずにそのまま保税上屋内に残置しておき、新たな密輸出の際税関係官の現品検査が行なわれた場合には係官にこれを示してすりかえ輸出の発覚を防ぐ用意のため再使用していた関係にあるもの、弁護人主張の右(ホ)に該る場合をも含む(別表密輸出表その一中三五、三六、四五ないし五三にその例あり。)。

そこで右各形態について、被告人等の行為が密輸出犯密輸入犯を構成するか否かを検討する。本件において、被告人等の行為が密輸出犯密輸入犯を構成するか、弁護人の主張するように輸出申告に際しての虚偽申告を構成するに過ぎないかを決する一の争点は、税関の輸出許可が国内引取用貨物と船積用貨物のいずれについて与えられたものと認むべきかにあり、税関の輸出許可は特定の貨物についての輸出申告に基づき与えられるのであるから、輸出許可の与えられた対象を決定するためには、その前提をなす輸出申告がいずれの貨物についてなされたものであるかを決定しなければならない。しかして、いずれの貨物が輸出申告の対象となつていたかを決定するには輸出申告行為における表示及び申告者の意思(申告者がいずれの貨物について輸出申告行為をなす意思であつたかという意味の意思であつて、申告者がいずれの貨物について輸出をなす積りであつたかの意味の意思ではない。)が標準となるべきであり、表示の内容としては、輸出申告書の記載がその主たるものをなし、就中貨物の同一性及び輸出許可の許否にもつとも密接な関りをもつ品目の記載が重要視さるべきである。右の点を前提として順次検討するに、

(1)については、輸出申告書の記載は、国内引取用貨物に合致し、且つ、輸出申告当時、輸出申告書記載の検査場所たる保税上屋に搬入してあつたのは、国内引取用貨物のみで船積用貨物は未搬入であつたのであるから、輸出申告書の表示としては、国内引取用貨物について輸出申告がなされたものと認むべきことに疑いがない。次に、申告者たる被告人等の意思については、被告人等は、国内引取用貨物を輸出せず国内に引取る意思であつたことは明らかである。しかし、いずれの貨物について輸出申告をするつもりであつたかという意思は、いずれの貨物を輸出するつもりであつたかという意思と混同さるべきではない。被告人等は、船積用貨物の品目についてではなく、国内引取用貨物の品目について、本船乗船官吏からこれを船積した旨の船積証明を得てこそ、国内引取用貨物についての輸出証明書を獲得し、貨物の買入先に対しては買入時の条件どおり真実これを輸出したものとして該輸出証明書を返還し、なお余剰分があるときはこれを他に売却して更に利益を得ることができたのであり、輸出申告をする被告人等としては、国内引取用貨物を実際に輸出する意思を有しないことには拘りなく、そのなす輸出申告が、税関により国内引取用貨物に関する輸出申告として扱われることにより、国内引取用貨物に関する輸出申告としての一連の効果を発生し、その結果として、国内引取用貨物についての輸出証明書を獲得し得ることを意図していたのであるから、被告人等は、まさに、国内引取用貨物について輸出申告をなす意思であつたということができるし、仮りに、被告人等の内心の意思は船積用貨物について輸出申告をなすにあつたと考えられるとしても、被告人等としては、当該申告が税関においては国内引取用貨物に対する申告として扱われることを熟知していたのであつて、心裡留保に該る場合であるから、船積用貨物についての輸出申告であるという被告人等の内心の意思は輸出申告の対象たる貨物を決定するについての標準となり得ないものと言わなければならない。以上により、輸出申告及びこれを前提とする輸出許可は国内引取用貨物についてなされたものと解すべきであり、船積用貨物について密輸出罪、国内引取用貨物について密輸入罪が成立する。

(2)については、輸出申告時から輸出許可時に至るまで、国内引取用貨物の外に船積用貨物も同じ保税上屋に在庫していた点が(1)の場合と相違するが、輸出申告書の表示としては、輸出申告書記載の品名の合致する国内引取用貨物について輸出申告がなされたものと認めるのが相当であり、申告者においていずれの貨物について輸出申告をなすつもりであつたとみられるかという申告者の意思の点についても、右(1)に説明したと同様であるから、この場合に密輸出罪密輸入罪成立の如何に関する結論も(1)と同一である。(但し密輸入罪が成立するのは昭和二九年七月一日以降の分に限る。)

(3)については、輸出申告時から輸出許可時に至るまでの間、申請検査場所たる保税上屋に終始在庫したのは船積用貨物で、国内引取用貨物は右期間の一部もしくは全部を通じて在庫しなかつた場合であるが、この形態に属する分も、前掲の証拠を検討すれば、いずれも、輸出許可当時、輸出申告書の記載に合致した国内引取用貨物が用意されていなかつたわけではなく、国内引取用貨物が輸出許可時までには当該保税上屋に入庫したか、輸出許可後、数日内に当該保税上屋に入庫したか、輸出申告時から輸出許可時までの間、輸出申告書記載の申請検査場所たる株式会社富島組神戸支店B保税上屋(後には株式会社神戸富島組B保税上屋)には在庫しなかつたが、右保税上屋に隣接し同一会社の保有する同支店C保税上屋に終始在庫していたかのいずれかであり、しかも、輸出申告書記載の品目は、国内引取用貨物に合致しており、申告貨物の特定に困難を来すような事情はなく、しかして、税関の通関手続上の取扱いとしても輸出申告をなすには予め申告の対象たる貨物を検査場所たる保税上屋に搬入しておくべきものとされてはいたが、事情によつては、輸出申告後搬入される見込が確実である限り未搬入のままで輸出申告をなし通関手続を進めることも許容されていたことが認められ(渥美謙二作成の上申書及び証人大前千太郎、同江口健司、同吉井貞一、同木村英弘に対する当裁判所の各尋問調書による)、これ等の事情を考えれば、以上の各場合は、輸出許可後国内引取用貨物の入庫までに輸出申告書記載の貨物に該当するものか否かの同一性の認定に疑問を生ぜしめる程度の相当の期間が経過した場合や国内引取用貨物が輸出申告書記載の申請検査場所たる保税上屋と著しく隔り、税関の監督に支障を来たすような場所に置かれて当該保税上屋には終始入庫しなかつた場合とは趣を異にし、なお輸出申告書の表示としては国内引取用貨物についての輸出申告と認めるのが相当であり、輸出申告者の意思についても右(1)(2)の場合と同様であるから、この場合における密輸出罪密輸入罪の成立の如何に関する結論も右(1)(2)と同様に解すべきである。なお、輸出貨物の検査時及び輸出許可時に、輸出申告に係る貨物が、輸出申告書記載の申請検査場所たる保税上屋に在庫していなかつたことは税関の通関事務における正常な手続に反する点ではあるが、本件においては、国内引取用貨物の入庫時期もしくはその在庫場所について前述のような事情があること、税関の行なう輸出貨物の検査は書類検査が主である関係上税関の監督、検査にとつて貨物の未搬入の及ぼす支障も少ないこと、本件においては、前述のように申告貨物の特定に疑問を生ぜしめるような事情もなかつたことを考慮すれば、右の点も、輸出許可についての重大な瑕疵というには該らず、従つて、輸出許可の効力を妨げるものではない。

(4)についても、右(3)に説明したところにより、密輸出罪密輸入罪の成立する所以は明らかである。

(5)について。この場合は、右(1)ないし(4)の場合と異り、(1)ないし(4)における国内引取用貨物に相当する輸出申告書記載の品目に合致する貨物は、既に一度国内引取用貨物として使用し輸出許可を受けて外国貨物となつているものを再度使用しているのであるから、新たな輸出申告が、右貨物についてなされたものとみることは困難である。しかし、輸出申告書の記載は、申告貨物の特定にとつて最も重要な品目の記載において船積用貨物の品目と異つているから、右の場合を直ちに船積用貨物についての輸出申告と即断すべきものではない。この場合のように、輸出申告に係る品目とそれに対応して船積しようとする貨物の品目が異り、しかも、他に輸出申告の対象と認むべき貨物がないとき、当該輸出申告が、右船積しようとする貨物についてなされたものと認むべきか否かは、通関手続の実質に着目し、申告者が右船積しようとする貨物の実体のありのままを、通関手続の重要な部分に該る税関係官の行う輸出貨物の検査に委ねようとしていたか否かによるべきである。もし何等かの手段を講じて船積しようとする貨物の実体をありのままに税関係官の目に触れないように計つていた場合は、当該貨物そのものについての輸出申告と認めることはできず、対応する輸出許可も当該貨物に対して有効に成立したものとは認めることができない。ところで、前掲の(5)の場合は、関係被告人等は、税関の現物検査が行なわれる場合に備え、既に一度輸出許可を受けた国内引取用の貨物をそのまま保税上屋内に存置しておき、新たな輸出申告についての現品検査が行なわれる場合には、右貨物を係官に示して言逃れをなし船積用貨物を現物検査から免れしめようとしていたことが認められるから、被告人等の輸出申告は船積用貨物についてなされたものと認めることができず、輸出許可も船積貨物について有効に成立したものと認めることはできない。もつとも、この場合、現品検査に備えて用意しておいた国内引取用の貨物の品目と記号、番号を輸出申告書記載のそれと比較すると、品目は合致しているが、記号、番号の合致しておらずもしくは未記入のものが多かつたことが認められるけれど、当時神戸税関で行なつていた現品検査そのものが厳重、頻繁なものでなく、回数も少なく、且つ形式的なものであつたことが認められるから、現品検査に用意した貨物と輸出申告書の記載の品目が合致している以上、記号、番号に相違するところがあつても、何等かの言逃れを付け加えて、船積用貨物を検査から免れしめる可能性があつたものと認めることができ、船積用貨物については輸出申告なく輸出許可が成立していなかつたものと認めるのが相当である。従つて、いずれも船積用貨物の輸出について密輸出罪が成立する。

以上により、弁護人の右主張は理由がない。

四、国内引取用貨物に対する税関の輸出許可無効の主張について。

弁護人(岸)は、国内引取用貨物に対する税関の輸出許可は、適法な現品検査が行なわれていなかつたこと及び昭和二九年一一月一日以降同三〇年三月三一日までの間は、国内引取用貨物の搬入された保税上屋について税関より与えられた保税上屋としての使用許可の区域及び期間の点で疑点がある上に、国内引取用貨物の中には、右保税上屋の区域に含まれない部分に搬入されたもの、保税上屋ではあつても、輸出申告書記載の保税上屋と異る保税上屋に搬入されたものがあり、結局、国内引取用貨物については、輸出申告書記載の保税上屋に対する適法な搬入がなかつたと認められることにより無効であるから、かかる国内引取用貨物を国内に引取つた行為は密輸入罪を構成しない旨主張する。

前掲各輸出申告書の記載によれば、本件において、被告人等のなした輸出申告に対する税関の現品検査即ち申告された貨物その物を現実に調べる検査は、申告の一部について行なわれたのみで、大半は、関係書類を通じて行なわれる書類上の検査にとどまつたことが明かである。関税法第六七条には「貨物を輸出し又は輸入しようとする者は、政令で定めるところにより税関に申告し貨物の検査を経てその許可を受けなければならない。」と規定されているが、同条は、貨物の輸出又は輸入をしようとする者が税関に対する申告義務及び貨物の検査受忍義務を負うことを規定したものと解せられ、同条により直ちに税関に対し輸出許可及び輸入許可の有効要件としてすべての貨物の現品検査をなすべき義務が課せられているものと解することはできない。しかして、輸入と異り、関税賦課手続がなく従つて貨物の品質、数量、価格等の検査についても関税賦課の適正を期するという目的を有しない輸出手続においては、税関において、輸出貨物の種類、性質、輸出先、輸出申告者の実績、信用等諸般の事情を考慮し、現品検査を必要としないと判断した場合は、その裁量により、輸出申告の関係書類を通じてする書類上の検査のみにとどめることもできると解すべきであり、本件において、税関のなした現品検査省略の措置がその裁量権の限度を逸脱したものとは認められず、従つて、本件各輸出許可に、右の点で明白な瑕疵を認めることはできず、右の理由によつて輸出許可を無効とすることはできない。

次に、第四八回公判調書中被告人織田甲子彦の供述記載、昭和三五年二月三日付及び同三七年七月二四日付神戸税関長発京都弁護士会長宛前掲各回答書によれば、株式会社富島組が税関より保税上屋としての使用許可を得ていた同会社のB保税上屋は、昭和二九年一一月一日以降株式会社富島組神戸支店の管理使用を離れ、同支店の従業員が新たに組織し同支店の業務を引き継いだ株式会社神戸富島組の管理使用するところとなつたが、株式会社神戸富島組が同上屋を使用することについての税関の許可は昭和三〇年四月一日以降の使用期間として与えられているので、昭和二九年一一月一日から同三〇年三月三一日までの間は、関税法第四七条第一項所定の保税上屋の業務を廃止したときに該るものとして、同条により、保税上屋としての使用許可が消滅していたのでないかとの疑を生ずるが、保税上屋の使用許可の有無存続は、通関手続に重要な関りを有する事項であるから常に客観的な基準に基づいて明確に認識され得ることが必要であり、保税上屋の許可の消滅事由を規定している関税法第四七条第一項の各号中第一号以外の場合がいずれも右許可消滅事由として明確な基準を定めていることを考え合わせ、同条第一号に規定する業務の廃止とは、同法第四六条の届出を要件とするものと解すべきであり、従つて、本件において株式会社富島組より右保税上屋の廃業を届出た昭和三〇年三月三一日までは、株式会社富島組名義の使用許可が有効に存続していたものと解されるから、以上の点も、右期間中右上屋に搬入された貨物についての輸出許可を無効とする理由にはならない。

次に前掲昭和三五年二月三日付及び同三七年七月二四付神戸税関長発京都弁護士会長宛回答書によると、株式会社富島組に対して使用を許可されたB上屋の範囲と株式会社神戸富島組に対して使用を許可されたB上屋の範囲とを比較すると、後者が六一坪少なくなつていること、これは昭和二九年一〇月下旬にB上屋の一部が火災に罹つたことがあり、右罹災部分はその後屋根を修理して復旧され当該部分に貨物が搬入されれていたこともあつたが、株式会社神戸富島組に対して右B保税上屋の使用許可が与えられるに及んで右部分は保税上屋の範囲から除かれたものであること、また、貨物が右B保税上屋に入り切らない時や人手不足の折には、正確には保税上屋の範囲外の貨物の積卸場所たる右B保税上屋の建物のベランダの部分にもシートを被せるなどして貨物が置かれていた場合もあることを認めることができる。しかし、右罹災部分は修理不能の程度に焼失していたのではなく、屋根を修理して再び使用し得る状態にあつたのであるから罹災によつて当然に保税上屋の範囲から除外されたということはできない。また、前記の如く、ベランダの部分及び保税上屋の使用許可の切替によつて保税上屋の範囲から除かれた旧罹災部分に置かれていた貨物の中に本件密輸入に供せられた国内引取用貨物の一部も混つていたか否かは明らかでないが、仮りに、そのようなものがあつたとしても、右ベランダ及び罹災部分のB保税上屋に対する位置的構造的関係を考慮すれば、この程度の手続違反はもとより、当該貨物に対する輸出許可を無効ならしめる重大な瑕疵には該当しない。また、輸出申告に係る貨物中申請検査場所たるB上屋に搬入されず隣接のC上屋に搬入されたものがあるが、これについても輸出許可は無効とすべきでなく密輸入罪の成立を妨げないことは既述のとおり(前示三(3)参照)である。

五、本件密輸入の公訴事実について被告人等に密輸入の犯意なしとの主張について。

弁護人は、被告人江銘勝を除く爾余の被告人等六名に対する各密輸入の公訴事実について、右被告人等は、いずれも、当時保税上屋に搬入し輸出許可を受けたが、未だ船積以前の段階にある貨物が関税法に所定の外国貨物となること、従つて、その引取りには輸入許可を要することを知らなかつたのであつて、このことは、当時、税関の通関手続の実務において、かかる貨物の引取は輸入許可手続によらず、輸出許可取消願によつて行なわれていたこと、関税法の改正によりかかる貨物の引取が関税法上輸入として取扱われるようになつたのは、本件開始後のことで、被告人等としても、未だ、かかる法令上の取扱いの変更を認識する暇がなかつたと考えられることからも首肯し得る旨主張する。

関税法第一一一条所定の密輸入罪が成立するために必要な犯意の内容としては、外国から本邦に到着した貨物又は輸出の許可を受けた貨物を許可を受けないで本邦に引取ること、該引取行為が法律秩序に反する種類の行為であることの認識があれば足り、当該貨物が関税法上の用語としての外国貨物に該るや否や、右引取行為が関税法上の用語としての輸入に該るや否やを知ることを要しないと解すべきところ、被告人江を除く爾余の被告人等七名の検察官に対する各供述調書、前掲各公判調書中の各被告人等の各供述記載を綜合すれば、右被告人等は、本件密輸入において、税関に輸出申告をして輸出の許可を受けた貨物を保税上屋から国内に引取るものであること、該引取は関税の何等の許可をも受けずに行なわれるものであること、輸出申告をなし輸出許可を受け保税上屋に搬入してある貨物を税関に対し何等の手続もすることなく無断で国内に引取ることは、いかなる法規法条に触れいかなる犯罪を構成するかは別として、少なくとも適法な通関手続に背く行為であることについての認識は有していたと認められるから、右被告人等において自己の所為が関税法所定の密輸入犯に該当することを承知していたか否かを問うまでもなく、右被告人等の本件各密輸入罪に対する犯意には欠けるところがないと謂うべきである。証人中山武夫、同清水豊に対する当裁判所の各尋問調書によれば、本件犯行当時、神戸税関においては、保税上屋に搬入され輸出許可を受けたが船積前の段階にある貨物を国内に引取ろうとする場合には、輸出許可取消願なる書類を提出させて手続をする取扱いをしていた事実を認めることができるが、被告人等は、本件において輸出許可を受けた貨物を国内に引取るに際し輸出許可取消願を提出した事実もないことは前掲各被告人等の検察官に対する各供述調書及び前掲各公判調書中の各被告人等の各供述記載により明らかであるから、右の点も、もとより、被告人等につき通関手続違反の認識を否定する理由とはなり得ない。

六、被告人等につき共同正犯の成立を否定する主張について。

弁護人は、被告人等については、公訴事実記載のような包括的な共謀は成立しないものとし、特に松永洋行側被告人については仮りに公訴事実の一部について何等かの刑責を負うとしても、いずれも従属的な立場にあつたもので、幇助犯の責を負うに過ぎない旨主張する。

前掲証拠の標目記載の、林進堂及び各被告人等の検察官に対する各供述調書並びに各公判調書中の林進堂及び各被告人等の各供述記載を綜合すれば、判示の如く、昭和二九年五月頃、被告人江銘勝を除く爾余の被告人等六名、林進堂及び香港の林炳松等数名との間に、順次、本件遂行につき意思連絡及び合意が成立したこと、同年八月頃には、香港に渡航していた被告人江銘勝も本件犯行の一部について右合意に加わつたこと、しかして被告人等は、林進堂及び林炳松等と共に、本件各犯行についてそれぞれの役割に従い協力していたことを認めることができる。しかしながら、被告人等各人の本件犯行における地位、役割は同一ではなく、その間に軽重の差もあり、且つ、必ずしも被告人等の全員が一様に本件の実行行為そのものを担当しているわけでもないので、被告人等についてすべて共同正犯の成立を認め得るか否かを検討する必要がある。そこで、以下、前掲の林進堂及び各被告人等の検察官に対する供述調書並びに各公判調書中の林進堂及び各被告人等の各供述記載等の各証拠に基づき順次検討する。先ず、被告人織田については、同被告人は、林進堂から被告人中野を介して通関手続の上で本件すりかえ輸出に協力して欲しい旨の依頼を受けて承諾し、部下の被告人岡村に意を含め協力させた上、松永洋行側の企図に副うように貨物の引取、船積等の通関手続を実施し、密輸出入の成功するよう尽力したこと、被告人岡村については、同被告人は、被告人織田の指示に従い、自ら、保税上屋の係員に対し松永洋行側の企図に副うような貨物の船積及び引取の指図を発するなどして、本件密輸出入実行のための具体的事務を執つていたことを認めることができ、被告人織田、同岡村とも右の役割に徴し、本件について共同正犯の責を負うものと解するのが相当である。次に、被告人中野、同山本、同大牧、同沢田については、いずれも、松永洋行の従業員に過ぎず、直接本件密輸出入による収益の山分けを目的としていたものはでなく、且つ、各人の担当行為も必ずしも密輸出入の実行行為そのものに該らない場合もあるが、当時、松永洋行の経営者たる林進堂、林炳松としては本件犯行開始直前営業不振に陥り、取引も著しく減少しその建て直しに困つていた松永洋行の経営状態挽回のための方策として本件すりかえ密輸出に松永洋行の主力を傾注したのであり、従つて、松永洋行の従業員たる被告人中野、同山本、同大牧、同沢田にとつては、本件すりかえ輸出の仕事をすることが即ち松永洋行の従業員としての勤務の主内容をなし、たとえ、直接には、本件による収益の分配には与からないにしても、自己等の受ける給与そのものも結局は本件すりかえ輸出の仕事を継続し成功させることによつて生ずる収益が主たる源泉をなす関係にあり、本件すりかえ輸出を成功継続させることが松永洋行の従業員としての右被告人等の仕事の目的であつたと認められ、しかも、もともと、本件すりかえ輸出は、性質上、その準備、計画に始まり香港大阪相互の連絡、商品の仕入れ、貨物の梱包、外装の整備、通関、船積、貨物の引取り、販売、代金の徴収等を経て収益の送金に至るまで、これを首尾良く成功させるためには、極めて複雑な各種の行為を必要とし、そのいずれもがすりかえ輸出による利益獲得に必須の行為であるところ、右被告人等は、当初林進堂からその企図を告げられるや、従業員の立場として或る程度無理からぬこととはいえ、いずれも、右企図に賛成しそれぞれ自己の役割を担当して右企図を成功させるため活動することを決意し、且つそのとおり実行したことを認めることができるのであり、以上の事情を考えれば、被告人中野、同山本、同大牧、同沢田についてもその立場は、林進堂等の本件犯行を容易ならしめた程度に止まるものではなく、林進堂等と互いに相協力し、仕事を分担し、共同して、自ら密輸出密輸入を遂行しようという合意を遂げ、右合意に基ずき、各自の役割に従つて本件犯行を遂行したものとして、右被告人等についても共同正犯の成立を認めるのが相当である。次に、被告人江銘勝についても、当時、松永洋行と組んで本件すりかえ密輸出を遂行することを主たる仕事としていた香港松永洋行の一員として、すりかえ輸出を成功させて利得を得るのに必須の行為である松永洋行大阪店側に対する通信連絡、到着貨物売りさばき等を担当していたものであるから、被告人中野等について前述したと同様の理により、香港滞在中に遂行された判示密輸出については共同正犯の責を負うと解するのが正当である。よつて、弁護人の右主張は理由がない。

七、捜査段階において作成された被告人等及び林進堂の各供述調書の任意性、信用性を争う主張について。

弁護人は、本件の捜査段階において作成された被告人等及び林進堂の各供述調書は捜査官が予断のもとに自白を強制して作成したもので、任意性、信用性を欠く旨主張し、被告人等も、当公廷において、右主張に副う趣旨の供述をしている。しかしながら、被告人等及び林進堂の各供述調書につき、その供述の経過、内容、各被告人及び林進堂の供述の相互の関係等を仔細に検討してみると、各供述調書にあらわれた供述は、いずれも、各供述者の経験に即し、各自の見聞し関与した事項につき詳細具体的に述べられており、それぞれ各自の経験に応じて特徴を有し、供述者が任意に真実を述べるのでなければ得られないような供述が散見しており、供述調書の内容自体に照し、記憶違いや記憶喪失の点にあつても、供述者が任意に自己の真実と思うところを述べたものであることを看取することができるのであり、取調官の強制、誘導、押しつけのもとに作成されたことを窺わせるような形跡は見出し得ず、この点に関して被告人等及び林進堂が当公廷で主張するところは措信することができない。よつて、弁護人の右主張は理由がない。

八、罪数に関する主張について。

弁護人は、本件についていかなる犯罪を認めるにしても、本件が統一的単一意思を以つて行なわれ、且つ、場所を同じくして継続的に反覆累行された以上すべてを一括して一罪として処断すべき旨主張する。しかしながら、密輸出罪、密輸入罪の本質は、各場合毎に適法な通関手続をして輸出もしくは輸入をなすべきであるのに、それぞれ適法な通関手続をすることなく輸出もしくは輸入をなすことにあるから、たとえ、犯罪場所を同じくして密輸出もしくは密輸入を反覆累行したとしても、密輸出については、内国貨物を外国に向けられた船舶に積み込む行為が、機会を異にして行なわれた限り、又、本件の如き態様の密輸入については、外国貨物を保税上屋から引取る行為が、機会を異にして行なわれた限り、それぞれ別罪を構成するものと解すべきであり、しかして、複数の密輸出もしくは密輸入がそれぞれ日を異にして行なわれているときは、実際に切目なく連続して犯行が行なわれたことが明らかでない限り機会を異にして行なわれたものと推定するのが相当であるところ、本件において別表各密輸出表及び密輸入表掲記の各犯罪は、各番号毎に日を異にし、且つ、日を異にするものについてそれが実際上連続して切目なく行なわれたことも明らかでないから、各番号毎に別罪を構成するものと解するのが相当である。よつて弁護人の右主張は理由がない。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 赤間鎮雄 裁判官 高橋正之 裁判官 小島裕史)

<以下省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例